「アンラーニング」という視座から個人と組織の断捨離を!
取材・文/中澤 仁美(ナレッジリング) 編集/ステップ編集部 |
目次[非表示]
昨今話題のリスキリングをはじめ社会人の継続学習が重要視される中で、これまで身に付けたことを精査して、不要なものを積極的に破棄する「アンラーニング」という概念も注目されてきています。アンラーニングは、個人や組織にとってどのような価値をもたらすのでしょうか。産業・組織心理学や組織行動論が専門で、アンラーニングの研究にも取り組む立命館大学総合心理学部の髙橋潔教授に伺いました。
【プロフィール】 髙橋 潔(たかはし・きよし) 立命館大学総合心理学部 教授/神戸大学 名誉教授 1984年、慶應義塾大学文学部卒業。1996年、ミネソタ大学経営大学院博士課程修了。南山大学経営学部および総合政策学部助教授、神戸大学大学院経営学研究科教授を経て、2017年より現職。専門は産業・組織心理学、組織行動論で、人と企業のマネジメントについて心理学的視点からアプローチ。近年、アンラーニングに関する研究にも取り組んでいる。経営行動科学学会元会長、日本労務学会元常任理事、人材育成学会常任理事、産業・組織心理学会理事、日本心理学会代議員などを歴任。 |
人間は「よくないこと」も学んでしまう生き物
私たちは、現在に至るまで多くのことを学習(ラーニング)してきました。この裏返しの概念といえるのが「アンラーニング」です。「学習棄却」と訳されることもあります。ごくシンプルに説明すれば、「新しく学習し直すために、これまで学んできた知識や行動原理や姿勢を捨てること」なのですが、一度身に付けたことを積極的に忘れるという行為に対して、どこか自己矛盾的な響きを感じる方もいるのではないでしょうか。正確に理解することが意外に難しいアンラーニングですが、実は個人にとっても組織にとっても大きな意義があるのです。
そもそも、個人レベルの学習については多くの理論が存在します。犬を用いた実験で有名なパブロフの条件反射はその代表例ですし、ピアジェは子どもの認知的発達理論を体系化しました。しかし、人間が学ぶのは「よいこと」だけではありません。例えば、バンデューラによる社会的学習(ロールモデルの行動を学ぶこと)の研究は、もともとは大人の暴力シーンを見ると、子どもも暴力を効率的に学んでしまうという点を示すために行われました。また、セリグマンの実験は犬に電気ショックを与えるもので、コントロール不可能な状況では無力感のような不都合な行動を、(動物でさえ)認知の働きで学習するという内容でした。人は「よくないこと」も学習を通して身に付けてしまいます。それを前提にして、すでに習得済みの「よくないこと」を手放すことが、アンラーニングの基本的な考え方です。
オンラインで取材に応じる立命館大学の髙橋潔教授
昨今、リスキリングはとてもホットな話題であり、確かに重要なのですが、「何かを新たに獲得すること」にばかり焦点が当たってはいないでしょうか。大人はすでに膨大な物事を習得しており、その中には「よくないこと」も少なからず含まれています。例えば、「勤勉に努力しても無駄だ」という無力感を学習してしまった人が、リスキリングで新たなことを素直に学べるでしょうか。不要な知識や行動や姿勢を精査して、無駄なことや悪い習慣を意識的に破棄しなければ、新規に物事を習得することは難しいはずです。外から新しいものを取り入れる前に、自分自身を見つめ直して不要なものを整理する、そして自分の中にある有用な力を発見していく活動こそ、アンラーニングなのです。
運動好きの方であれば、「アンラーニングは筋トレではなく体幹の訓練」と考えると分かりやすいかもしれません。アンラーニングは、外から新しいものを取り入れる前に、自分自身にとって不要なものを整理するために、自分の内に向かう学習のプロセスです。特定の部位をベンチプレスなどで強化するというよりも、自分の中にありながらまだ使われていない部分を知り、寝ている筋肉(体幹)を掘り起こすようなイメージです。体幹を正しく感知しないまま急に加圧して筋肉に負荷をかけると、ケガや故障の原因になることがありますね。それと同じように、まずは元から持っている知識や行動原理を見直し、取捨選択することが学びの第一歩になるわけです。
企業におけるアンラーニングは「組織断捨離」
ここまでは個人レベルのアンラーニングについての話でしたが、実は組織も「よくないこと」を学習する傾向があり、それを手放すためのアンラーニングが必要だと考えられています(図1)。例えば、他部署や他社のケーススタディーを通して模倣を繰り返しているうちに事業の本筋から外れてしまったり、歴史を重ねる中で社内手続きやローカルルールが増え、過度に複雑化してしまったり……。こうならないように、共有された知識・価値基準・行動原理・手続きなどのうち、すでに時代遅れになったり非効率になったりしたものを捨て去り、新しいものに置き換えることが、組織におけるアンラーニングだといえます。
【図1】組織と個人のラーニングとアンラーニング
こうした組織レベルのアンラーニングについて、私たちは「組織断捨離」と名付けました(髙橋・中森・アルシンニコヴァ,2016)。陳腐化して不要になった知識などを廃棄・整理するプロセスは、片付けなどの文脈で語られる「断捨離」という概念を借りると分かりやすいためです。さまざまな研究を通して、組織断捨離は次の3要素に分類できると考えています。
【組織断捨離の3要素】
(1)考え方の断捨離(mental decluttering)
→ビジョン・ミッション、伝統的価値観、信念、プライドなど
(2)内部慣行の断捨離(procedural decluttering)
→社内ルール、業務の進め方、社内構造、設備・技術など
(3)ビジネスの断捨離(business decluttering)
→事業モデル、取引関係、顧客、市場など
組織断捨離がうまくいくと、不要な前例がなくなったり、煩雑な手続きが簡素化されたりして、社内がすっきりと片付きます。物理的にも精神的にも空間(スペース)ができ、新たなビジネスに取り組む余地も生まれてくるでしょう。結果的に、組織にとって本当に必要なことや追求したいことが明らかになり、価値観がブラッシュアップされるわけです。
もちろん、こうしたメリットは個人レベルでも生じます。片付けコンサルタントとして世界的に有名な近藤麻理恵さんは、物品の取捨選択において「心がときめくかどうか」を基準としたことで知られています。不要な物を捨てられる、スペースを空けられるといった端的なメリットだけでなく、整理後の部屋やたんすの中を見れば、今の自分が何を必要としているか一目瞭然になることが大きな特徴で、単なる片付けを超えた「価値観の発見」を提案した点が画期的でした。これはアンラーニングにかなり近い考え方だといえます。
キャリアの中盤や転換期こそ「捨てる」ことが有効
アンラーニングが特に有効なのは、身に付けたものが多くなったときです。キャリアを積み重ねてきた方こそ、あるいは長い歴史を紡いできた組織こそ、過去を断捨離する意義はより大きくなります。特に、中年の危機(ミッドライフ・クライシス)に直面したとき、あるいはコンプライアンスの観点から組織に問題が生じたときなどは絶好の機会です。大きなライフイベント(出産、育児、介護、転勤など)が発生したときも、新しい役割や価値観を見出す必要があるという意味で、アンラーニングの価値は高いでしょう。
アンラーニングを実践する上で、越境学習を活用することもよいアイデアだと思います。マイナビでは「出向支援」や「企業間留学」というサービスを展開し、他社で一定期間就業することを支援しているそうですが、アンラーニングのスタートラインとして、第一歩を踏み出すために活用できそうですね。ただし、注意点もあります。まずは、アンラーニングを目的とするのであれば、今の職業・業種と大きく異なる「越境先」を選ぶこと。過去との関連性・継続性を断ち切ってこそ、より多くの収穫を得られるはずです。「仕事に役立つ」とか「次のキャリアにつながる」という損得勘定ではなく、「有名だから」とか「評判がいい」という世間の見方でもなく、「おもしろそう!」と直感的に心がときめく場を選ぶとよいでしょう。
また、人材を送り出す側の経営者・管理者は、コーチングマインドを持つことを意識してください。例えば、「越境者」と面談する際、会社としての考え方などを長々と伝えるよりも、できるだけ聞くことに徹してみましょう。新規ビジネスの開拓などを目的としているなら話は別ですが、アンラーニングを後押しする目的であれば、相手に語らせる中で内省を促すことが肝心です。より話しやすい雰囲気をつくるため、「越境者」により近しい人物(年齢の近い先輩など)に面談を任せることも一案です。
アンラーニングはいわば「悟りを開くこと」
それでは、実際に組織内でアンラーニングを始めようとしたとき、何から取り組めばいいのでしょうか。もちろんケースバイケースではありますが、アンケート調査の結果を見ると、3要素のうち「考え方の断捨離」を経験している方が想像以上に多くいることが分かります(図2)。赤が「考え方の断捨離」、黄が「内部慣行の断捨離」、青が「ビジネスの断捨離」に対応しています。各要素を捨てたり変えたりした経験のある人の割合を、数字は示しています。これまでは、認知やものの考え方を変えるのがいちばん難しいと言われてきましたが、実際には考え方を断捨離している経験がもっとも多かったのです。反対勢力が生まれやすい「内部慣行の断捨離」や、痛みを伴うこともある「ビジネスの断捨離」にいきなり取り組むよりも、まずは職員の考え方にフォーカスするほうがスムーズかもしれません。
【図2】組織断捨離の経験(N=780)
出典:髙橋潔,中森孝文,オクサナ・アルシンニコヴァ(2016)『組織の断捨離―アンラーニング現象の概念的・経験的検討』経営行動科学学会第19回大会発表論文集
また、「ムリ・ムラ・ムダ」を検討して組織改革していくのがマネジメント層の役割ではありますが、組織のよくない点を探そうとするあまり、ネガティブな姿勢になりすぎないよう注意したいところ。「これから組織がどうなっていくべきか」というビジョンや夢を示すことで、結果的に不要なものが見えてくる……というのが理想的でしょう。こうしたポジティブな姿勢でアンラーニングが実現できたら素晴らしいですが、リーダーとしての手腕が問われる部分だと思います。
私は、これまでの研究を通してアンラーニングの本質に迫るうち、仏教の「成仏」という概念との類似性に気付きました。日常用語で成仏といえば死を迎えることを意味していますが、本来は「修行を通して悟りを開き、仏になること」を指しています。人間は、生まれたときにはまっさらで喜びにあふれた状態ですが、成長するにつれて雑念や煩悩や苦悩を身にまとっていきます。こうした余分なものを捨てることで自己を知り、自己を極めるプロセスはまさに断捨離であり、悟りを開く「成仏」なのです。それはアンラーニングに通じるものだといえるでしょう。東洋的な考え方が自然と根付いている日本は、実はアンラーニングの本質をつかみやすい国かもしれません。新しいことを学ぼうと焦りがちな現代だからこそ、あえて「手放す」ことに目を向けてみませんか?
【編集後記】
アンラーニングの考え方と「こんまりメソッド」に共通点を見出す話が特に印象体でした。確かに、なんとなく買った新しい服が手持ちの服と合わなくて結局着なかった経験がありますが、クローゼットが整理されていて選び方に軸があるときは失敗が少ないもの。仕事も同じで、スキルアップのために新たな知識や技術の習得に意欲は向きがちですが、まず先に自分と向き合って整理し、ネガティブな考え方の癖や習慣を手放すことが大事だと感じました。実践するのは簡単ではないからこそ、日々の業務の中でも不要なものを手放す意識を持っていきたいと思います。